艶笑譚 ◆◆

姥捨て山

 

◆   ◆   ◆   鬼を取って食う口   ◆   ◆   ◆

むかしあったと。

おっ母と伜(せがれ)と二人暮らしの家があったと。貧乏(びっぽ)ながらも親子で仲良く暮らしていたでも、そのうちに伜が嫁もらったと。貧乏などごに嫁が来て口が増えて、そこにまた孫どもがぞろもこと生まれたと。

そうなると、おっ母も姑婆さになってきたし、仕事もあんまりできなくなってきたと。ほうしると嫁が本性現してきて、姑婆さをいじめ出したと。とうとう家から追い出すことになって、山へぶちゃって(捨てて)来ることになっちまったと。嫁は父(と)っつぁ(亭主)に、
「そっけな婆さは山へ置いて来ただって這ってでも戻ってくるすけ、茅で小屋を拵
(こしゃ)って、中へ閉じこめて火をつけて焼き殺して来らっしゃれ」つぉって、まるで鬼女むき出しのこと言ったと。伜は仕方なく親婆さを背負(ぶ)って山奥へ行ったと。ほうして茅を刈って小屋がけして、その中に婆さを入れて出らんなくしておいて火をつけたと。

婆さは燃える茅小屋からどうにかこうにか這い出して、燃える小屋の火で暖まって、その火が消えそげになると、枯れ枝のボエ(粗朶(そだ))を足しては暖まっていたと。

ほうしると、山の奥の方から鬼どもがぞろぞろと何匹も出てきて、婆さを取り囲んだと。ほうして婆さを食うことの相談を始めたと。
「おれが婆さの太腿
(ふともも)の肉のいっちゃん(一番)げぇについたどこ食うぞ」と親分鬼が言ったと。
「おうしゃあ、おれは尻
(しり)の肉を食うことにしる」と次の親分が言い、その次その次と食う場所を相談したと。

相談ししまに婆さの股ぐらを覗いて見たら、おっかなげな口が開いているのに気付いたと。それは真っ赤な口が縦に裂けてて、その周(めぐ)らに白い毛の混じった黒い毛がぐるりと取り巻いていて、見るからにおっかなげな口だっけと。鬼どもは怖気(おぞけ)をふ るって、
「婆さ、お前
(さま)の股ぐらにある口は何の口だえ」と恐る恐る親分鬼が訊(き)いたと。婆さまはおがしがったども脅(おど)かしてやろうと思って、
「ばかども、さっきなから君
(ね)らはおれを食う相談してるでも、それづらねえ(とんでもない)。おれの方が君らのうちから誰を先に取って食おうかと思案してるどこのがだ。この下の口はな、君らみてな鬼を取って食う専門の口のがどぉ。さあてと、親分から先に食うとしるか」

そう言って脅かしたと。鬼どもは、これはおれらの手並(てごう)にはゆかん大変な山ん婆のがで、まごまごしてれば皆が食われてしまうとおっかながって、
「婆さ、勘弁してくんねかい。命ばかりは助けてくんねかい。その代わりおらいのいっつぉけて(取って置き)の宝物をやるすけに」と言って、打出の小槌を置いて山の奥へ逃げていっちまったと。

婆さまは股ぐらの口のお陰で命拾いして、打出の小槌で何でも好きな物を出して、金持ちになって楽に暮らしたと。

いちごさけた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 

岩手の高冷地、遠野には『蓮台(でんでら)野』と呼ばれる、口減らしのために老人たちを捨てたという伝説的な丘や野原が集落ごとに点在していました。老人たちはそこに小屋を造り、死ぬ まで生きるために共同生活を営んでいました。時には『蓮台野』をおりて来て、老人の豊かな知識と経験を子供たちに与えていたそうです。

恐ろしいほど知識が進歩し、技術と機械が発達し、やれパソコンだの、やれインターネットだのと騒がれている今の世の中、老人の知識や経験がどれほど期待されるのでしょう。その価値を活かせない老人達は、いったいどこに行けばいいのでしょうね。

 


★参照…『みちのく「艶笑・昔話」探訪記』(佐々木徳夫著・無明舎出版)

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