艶笑譚 ◆◆

炉辺談話

 

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昔、ある所(どご)に仲のいい爺さまと婆さまがいだんだって。ある朝まのごど、婆さまが囲炉裏(いろり)で火起ごししてだら、爺さまが起ぎで来て、火さ当だったそうだね。婆さまは、爺さまがちんちん(金玉 )突ん出してるの見で、
「ちょっと見だら、福の神」
て言ったってね。爺さまは、婆さまも木尻
*で開いでるの見で、
「いや恐ろしや、宝舟」
て褒めだどごろが、婆さまが、
「この舟に乗ったる人は、富貴
(ふっき)満福」
て言ったって。そうしたら、その年に運が向いで、いい年を取ったんだってね。

とごろが、隣りの爺さまは、婆さまが木尻で股(まった)広げでるの見で、
「いや恐ろしや、蛇の頭
(かっしゃ)
て言ったんだって。そうしたら、婆さまが、
「これに呑まれで、くたばんな」
て言ったどさ。

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これぞまさしく『炉辺談話』。

私はこの一話で、岸川洋子さんの『茅葺(かやぶき)東京』をまた捲ることになりました。するとどうでしょう。『縁起の歌』の仲のいい爺さまと婆さまがそこに居たのです。コケの生えた、脳ミソのしわのような三和土(たたき)。現役の釜やかまど。オカラで磨かれた大黒柱。継ぎ接ぎだらけの足袋。ベルト代わりのへこ帯。草をむしるいざり姿。作業がし易いように曲がった腰。縁側での一服。来客への土下座のような挨拶。そして、お二人に接する人たちの笑顔。写 真集の中では囲炉裏はなく、すでにこたつが使われていたようですが、心の通い合った者同士が交わす四方山話『炉辺談話』がいつもそこで飛び交っていたのでしょう。


数ヶ月後、私はこの『茅葺東京』の作者である岸川洋子さんとお会いしてきました。私の出した手紙に快く応じ、直接お会いする機会をつくって下さったのです。場所はもちろん東京都大田区池上。岸川さんはその後撮られたモスクワでの写 真をわざわざ持ってきて下さいました。印画紙ケースに無造作に入れられたそれは、なんとオリジナルプリントが数十枚。私は直接手にしてそれを拝見することができました。しかも、一枚一枚にその時の状況や心情を語って下さったのです。被写 体が違っても、岸川さんのあの『目』あの『優しさ』はここでも垣間見ることができました。

かつて、映画監督のヴィム・ヴェンダースは写真を撮ることについてこう言っていました。「写真は時間の行為だ。写真は時間から何かを引きずり出し、自分の流れそのものを変えてしまう。写真は常に二重の映像だ。カメラはとらえたものを写 しとめると同時に、写真を撮った瞬間のカメラマンの姿をも画面に映し込んでしまう」と。そうです『茅葺東京』も『モスクワでの写真』も、その中には岸川さん自身が写し込まれていたのです。それをみる人はきっと岸川さんと『炉辺談話』を交わすことになるでしょう。


少々横道に逸れてしまいましたが、幼少の頃は私の家にも囲炉裏がありました。上座ではいつも祖父が酒を酌み、木尻の祖母はいつもアク(灰)をきれいに整えていたのを覚えています。今はもうこんな光景に出くわすこともなくなりました。なにか寂しい限りです。

 

*木尻(きじり)…炉端の下座


★参照…『民話みちのく艶笑譚・第2集』(佐々木徳夫著・ひかり書房)

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